犬の整体師になるまで
■伊東 知美(いとう ともみ)
犬の整体&水中フィットネスの専門家
■愛犬・愛猫情報
・ゴールデンレトリーバーの小太郎・♂・7歳
・ミックス猫のシャー(茶トラ)・♂・0歳
・ミックス猫のララ(三毛)・♀・0歳
と暮らしています。
愛すべき
・アイリッシュセッターの華・メス・享年13歳
・イングリッシュセッターの幸呼(ココ)・メス・享年推定13歳
・ミックス猫の鈴・メス・享年推定19歳
・ビーグルの福来(フク)・メス・享年10歳は虹の橋を渡りました
■経歴
高校卒業後アメリカの大学で経済を学び、帰国後コンピューター関連の仕事につく
結婚を機にそれまでの仕事をやめ、派遣社員を経てペットフードの会社に転職
人生のバディでもある愛犬や愛猫のためになる品をお届けすべく、日本全国の店舗でお客様とお話させていただき、特にフードのお悩みに対応
体調不良が原因でペットフード会社を退職後、愛犬と共に健康になれるハイドロセラピー(水中フィットネス)という仕事に出会い、さらに犬の整体のすばらしさに感動し、犬の整体&水中フィットネスの専門家として
の活動を開始
4,500名以上の方に愛犬・愛猫についてのアドバイス経験があり
ご利用の約90%のお客様が施術をリピート
■はじめまして
犬の整体&水中フィットネスの専門家 伊東知美です
私は今でこそ自分の好きな仕事を精力的にこなし、お客様とのコミュニケーションを楽しみながら
愛犬の悩みを解決すべくお手伝いをさせていただいておりますが、子供時代は引っ込み思案で、中学生になっても自己紹介すらまともにできなく、遠足の帰りには体調くずし、そのまま病院に直行するような虚弱体質子供でした
ミックスわんこの弁(べん)、♀
享年14歳
近所にある弁天というお店で生まれた子だから弁ちゃんと命名
自分にとって初めてのわんこ
ただどんな時にも自分のそばには大好きなわんこやにゃんこがいてくれて、人生の岐路に立った時に道しるべになってくれていました
そんな私がなぜ大好きな愛犬と幸せになるお仕事をしていくようになったのか、ちょっと長くなりますがお話したいと思います
■なぜ犬の整体師になったのか
きっかけは、愛犬のアイリッシュセッターの華が歩くことが難しい状態になったことです
大型犬とは言え、当時まだ9歳で歩けない状態なんて、悪い病なのでは!と思い、かかりつけの病院以外の先生にも見てもらいましたが、結果は
『なんの異常もない』でした
そんなはずは無い!
と必死の思いで歩けない我が子の相談先を探していたところ、犬の整体に出会いました
犬の整体を受けた後は、たどたどしかった歩きがスムーズになり、長時間のお散歩ができるまで回復することができました!
また、この時期に縁があり引き取ることになった、ビーグルの福来(フク)享年10歳の女の子は、膝蓋骨は脱臼したままかたまり、手術しても治らない棒切れのような状態で我が家にやってきました
その後ヘルニアが悪化し、水を飲むものやっとな状態だったので、むやみに運動できず、整体で体のゆがみをとってあげることしかできなかったのです
福来は我が家で過ごした時間はわずか2年間。手術やら通院していた時期を抜かすと動けていたのは1年とちょっというとても短い時間でした。しかしこの短い期間に一生懸命歩き、とてもうれしそうに草の上をゴロゴロする福来や、瞳をキラキラさせながらお散歩を楽しむ華の姿を見て、『これだ!これが本当に私がやりたかったことなんだ!』と思い、技術を学び今に至ります
■私の人生と愛犬・愛猫達
今の私を知っている人からすると想像できないかもしれませんが、幼少期は体が弱かったこともあり、学校を休む機会も多く、他人に打ち解けるまでに時間がとてもかかり、自分のお誕生日会にお友達を呼ぶだけで知恵熱を出すような子供でした。
3人兄弟の末っ子で、ある程度自分が興味を持っていることに関しては自由にさせてくれた両親の元
高校卒業後アメリカの学校に進学しました。
それまではのどかな田舎で、地元の小・中・高で過ごしていた私はアメリカでの生活はとても苦しい日々でした。
幼稚園から一緒の友達がそばにいたため、とても世間知らずに育ち、他人を意図的に無視したり、傷つけたり、人のものを盗んだりするようないじめには合わせたことも、あったこともなかったのですが・・・アメリカに渡ってからすべて体験しました。
アメリカに渡った当時しりあった日本人の人達とは口をきいてもらえず、というか存在を認識してもらえない透明人間扱いでしたし、英語がまともに話せなかった時は学校で生卵ぶつけられたり、唾を吐かれたり、原爆についてアメリカ人を恨んでいるのかと聞かれたり・・・ちょっと心が折れそうな日々を送っていました。
生きていくためには英語をマスターせざるおえない状態に追い込まれ、結果的に英語の能力は他の日本人学生さん達より早く上達し、他国出身の人達や価値観の近い日本人の人に巡り合え状況を打破することができました。
当時自分を支えてくれていたのは、ミックスにゃんこのBoo(ブー)享年10歳とオーストラリアンシェパードのJAJA(ジャジャ)享年14歳でした。
アメリカでの生活で犬や猫のいない生活に耐えきれず、親に内緒で飼いはじめてしまいました。
この子達と生活するなかで今までの自分を取り戻し、自分なりにできる事をどんどん増やしてしていき、将来就職に有利な条件を考慮し勉強に遊びに一生懸命でした。
そして、意気揚々と帰国し就職活動を始めましたが、夢のような好景気は終わり、厳しい就職氷河期に突入しておりました。
英語もできるし、パソコンのスキルも取得しているし、どこかに就職できるだろう!と高をくくっていた私の思惑は外れ、希望した企業にも引っかからず、仕方がなく大手コンピューターソフトのカスタマーサービスでアルバイトをはじめました。
その当時、まだパソコンの普及率は低く、中小企業であれば各部署に1台という時代だったので、ソフトの使用方法など使いこなせる人材は少なく、英語で対応できるスタッフは自分1人だけでした。
入社後PCの普及が一気に加速し、会社が業務拡大に伴ってそのまま社員となったのですが・・・・。
業務拡大するスピードが速すぎて、切り盛りするスタッフはマンパワーで穴埋めをする以外方法がなく、朝・昼・晩すべて外食、終電にのれずタクシーで帰宅することもざらで下着や着替えを近所のカジュアルショップで購入するなどして1日の仕事量がとても多く、起きている時間のほとんどが仕事でした。
そこが社会人として過ごした初めての場所だったので、厳しい環境下でも比較するものが乏しく、それよりも目の前の仕事を処理する事に必死な日々を過ごしていました。
当時我が家にはアメリカから連れて帰ってきたJAJAと私がアメリカに渡る前から飼っていたアフガンハウンドのロッキー(享年14歳♀)がいました。
運動不足にならないように敷地の一角をフェンスで囲い、運動できるようになってはいましたが、以前のような密接な時間を持つことが減っていきました。また、この時期人生の伴侶とも巡り合い、少し仕事のペースを落としていこうとしていた矢先にBoo(ブー)、ロッキー、JAJAと立て続けに亡くしてしまうのです
失ってしまってから、どんなに後悔してもあの子達との時間を取り戻すことはできず、心が病んでしまいそうになった時に捨て猫だった鈴(すず)と蘭(らん)に出会ったのです
オレンジの首輪が蘭(らん)享年8歳
緑の首輪が鈴(すず)
名前の由来は、鈴蘭の花ことば
【幸せの回帰~Return of Happiness~】
何度も何度も幸せがめぐってきますように・・・
から命名
怖がりな蘭は新しい家に引っ越してからすぐに亡くなってしまいましたが、鈴は元気にがんばってくれています。
現在19歳になりますが、今も元気に過ごしております
この子達を育てながら病んだ心が癒され、前向きに生活することができるようになり、
この頃から人生の節目にはいつも愛犬・愛猫が支えてくれていたことに感謝し、
この子達を幸せにしてあげる仕事をしたい!という気持ちが強くなっていきました。
幸運な事に願いが叶い、念願のペット業界に転職でき、ペットフードの開発や販売促進など、やることがたくさんある部署に配属され、本当に充実した日々を送っていました。
仕事も順調でこれから生涯をともにする相棒にと、アイリッシュセッターの華(ハナ)を我が家に迎え入れました。
仕事もプライベートも順調で後は自分にも子どもが授かれればな・・・なんて思っていたのですが・・・。
あまり体が丈夫ではなく、無理をすると通勤途中に貧血で倒れたりすることがしばしば
そして妊活している中流産してしまい、子宮に見つかった筋腫があまりにも大きくそして複数個できてしまった事から子宮をとることとなってしまいました。
猪突猛進!仕事にまい進し、体を壊し、子供を持つことはもう叶わない・・・
またまた心にぽっかりと穴があき、うつろな日々が過ぎていきました。
子宮摘出により貧血が改善したことで、体は幾分元気になり、保健所にいたイングリッシュセッターの女の子で幸せを呼ぶ子になれるように幸呼(ココ)と命名し、引き取ることに決め、これから愛犬との時間を充実させていこう!と思っていた矢先に会社が合併し、新しい環境の中仕事をしていく日々が始まりました。
今まで複数名でやっていた仕事の多くを担当する事となり、やりがいと意気込みだけでは回らないほど忙しくなってしまい、最終的には目が見えなくなる症状が現れ、自宅療養することになりました。
■もう後悔したくない
仕事が立て込んで時期と愛犬の華が歩けなくなったタイミングが重なり、JAJA達を失った時の記憶が頭をかすめました
歴代の愛犬達は歩けなくなってから、早い子は数週間で亡くなってしまったので、歩けない=死が近いのでは・・・と急に怖くなり、いつもの動物病院はもちろんのこと、評判を聞いて東京や神奈川まで足を延ばし先生に診てもらいましたが、レントゲンやエコー検査等を行っても特に異常は無いという回答でした。
そんなはずはない!と色んな人に相談をしながら悶々とした日々を過ごしていた時、施設で偶然出会ったビーグルの女の子福来(フク)と出会い、ほっておけず引き取ることになります。
次第に、沢山のわんこやにゃんこを大切に思う気持ちも大事だけれど、我が子達と過ごす時間の短さに気が付き、我が子達と残された限りある時間を大切に過ごしたい!JAJA達を亡くした時のような後悔をしたくない!と強く思い、私のわがままを旦那様と会社側にも受け入れてもらい、ペットフードの会社を退社することにきめました。
そして、ハイドロセラピー(水中フィットネス)との出会いを経て、華の事がきっかけで犬の整体に出会う事ができました。
整体を行ってからというもの愛犬達の様子がどんどんよくなり、歩ける時間が長くなっていきました。
また、転職をしたことで、愛犬達と一緒に過ごせる時間が増え、愛犬達の笑顔の時間も増えていきました。
私もわんこ達も幸せを感じることができ、尚且つ、人とわんこの役に立っていると実感できるそれが犬の整体なんだ!という強い想いで現在に至っています。
■犬の整体の専門家として
まだまだ、犬の整体というお仕事を見知っている方は少ないです。
整体の良さがなかなか理解しずらい方もいると思います。
そのため、施術前にはしっかりとしたカウンセリングでどうのようになりたいか、
ご希望を聞かせていただき、施術の前後をどのように体が変化したかお話させていただきます。
愛犬達の筋肉のコンディションは10匹10色です。
同じ犬種や年齢でも決して同じではないため、その子にあった施術や運動内容をアドバイスしていきたいと思っています。
病院とは違い、エコーやレントゲン、血液検査結果の数値変動などをお見せることができないのが整体ですが、おぼつかない歩みがしっかりしていく様を視て、実感していただくことが何よりも信用につながると思っています。
引っ込み思案でなかなか自己紹介もできなかった私ですが、愛犬達の笑顔と最後まで自分の肢で歩ける体づくりをサポートすることで、わんこと家族の幸せな時間が長く続くお手伝いをすることを使命として、これからも頑張っていきたいと思っています。
【2021年12月8日華13歳、永眠しました】
この犬の整体を始める大きなきっかけとなった、アイリッシュセッターの華が永眠しました
皆さんと繋がることができたのも、この子がいたからなのです
大好きで、かけがえのない存在です
華へ
いつも私がお風呂を出るまで待っていてくれてありがとう
最後の三か月間はずっと一緒に過ごせたね
本当にかわいくてかわいくて、しょうがなかったよ
今は華と添い寝ができないのが、とっても寂しいです
仕事にかまけて、お散歩さぼったり、ブラッシングできない時もあり、ずぼらな飼い主でごめんね
華と出会えて、華のように歩けない子を生涯自立歩行できるようにサポートしていくことが、私の人生の目的になったよ
華と出会えて本当に良かった
沢山の愛と幸せを私にくれてありがとう
大好きだよ華
長い長い文章になってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました